こころのノート(物理)

こころのノートではありません。

私はメンヘラなどでは無いのです。名乗る資格もないし病気も無い。私はメンヘラではない。ただ、どこまでも意味が分からないだけなんです。自我とか自意識とか幸福論とか人生の意味とか、そんな高尚なものではないけどそれに近い何か下位互換のような何か、それが分かってないだけの健全でつまらない有り触れた平凡などこにでも居るメンヘラの皮をかぶった健常者です。メンヘラはなにか非凡とかそういう馬鹿みたいなことを考えてる訳ではないけれど、でも、それでもそんなメンヘラのよりももっと平々凡々な存在です。だから非凡な天才の音楽が好きでそれに縋って分かる〜みたいなクソみてぇな感想垂れ流して生きてます。まともは面白くないまともでなど居たくないでもまともに生きたいまともになりたいと、そう思うこと自体がまともそのものだと思う。人生の意味だなんて随分と哲学的なことを言ったけど、とどのつまりさっさと死にたいだけですし、天才の早死は天才たる所以であったりするわけですけど、私はどこまでも逃避以上の何物でもない。私は、自分のことが分からないだけだしでも考えたくもないし見られていない普段の自分の行動までもが全て恥ずかしい。恥ずかしい。大音量で大森靖子や女王蜂や毛皮のマリーズドレスコーズゆらゆら帝国、行方しらズ、神聖かまってちゃんを流している時、その時だけはこんな面白いものを面白いと言える、思える私はサイコーだってあいつらよりずっと面白いんだぞって、天才たちの力を借りて恥ずかしいから逃げれる気がして、誇らしく、思ってます。虎の威を借るなんとやら。メンヘラとかサブカルとかの力を借りなくたって私は面白い絶対面白いたぶんって言いたい思いたいけど(この表現がもうサブカルの力借りててダメ)ぶっちゃけ借りてたって面白くなれないのが私です。今日も自分の顔も体も性格も考え方も頭の中も病気と言われてるけど絶対違うだろなそれも全部嫌でやり直したいけど、最近こんな私でも好きだといってくれる人が存外居たりするので、飲みに行こうねって言ってくれる人がいるので、心配してくれる人がいるので、それがうれしくて生きてたりする。ぶっちゃけ私の早死したいはほかの人でいう「腹減った」くらいの感覚なのであまり気にしないでほしい。30くらいで死にたい。「期間限定のちょっと高いコンビニアイス食べたい」くらいの気持ち。他人の寿命は別だけど、自分の寿命はぶっちゃけ高級コンビニアイスくらい興味無いです。酒をちょっと無茶な飲み方しても大丈夫な程度に健康でいたい。なんかぶわーっと色々書いたけど、信ぴょう性ないって言われそうですが、こんなんでも最近は割かしハッピーだから。うしろむきにまえむきに。自分が許せる程度の許せなさを持って生きたいし。ここまで思考回路こじらせてしまったら正直もう今後の人生で変える方が難しいし、ある種1番大事かもしれない人生のこの時期にこの思考回路で生きてたんなら、それも自分くらいは認めたいし愛着が無いわけじゃないし。自分くらいは愛していきたい、その考え方嫌いじゃないよ好きだよって。そんなふうに生きたいですね、まぁ実際は何も考えずに生きてますけど。