こころのノート(物理)

こころのノートではありません。

母との軋轢

好きな人も嫌いな人も、大好きな人も大嫌いな人も家族も友達も私もみんなみんないつか死ぬ、死ぬ、当たり前だけど。

 

母親には、昔から自分で言うのもなんだけど、複雑な感情を抱えている。昔は本当に嫌いだった。本当に。

幼い頃は恐怖の対象で、全ての行動は母に褒められるかどうかで価値が決まった。母に褒められるなら何でもよかった。でも出来が悪く要領も悪くかと言って他人を蹴落す程の強気さも無かった、し、今なら納得出来るけど多分病的でない程度の発達障害も出てたから、本当にイライラさせてばかりだった。怒られる日々。今よりも1166066902574倍くらい余裕の無かった母はしきりに私を奮起させるために他人と比べた。競争心の低い私はその結果悔しがるのではなく比べられた相手を内心で嫌い続けた。クズの人格は立派に育ってたんやな()母の口から友達の名前が出るだけで嫌気がさした。どう考えても私はあの子にはなれないのに。今よりも125856857566888倍くらい体力のあった母は怒りもパワフルで怒鳴ることも叩くことも髪を引っ張られて1メートルくらい室内を引きずられることも普通だった。イライラさせる天才の私が悪かったことがほとんどなんだけれども。

死ね、も、殺人が犯罪でなければあんたなんか何回も殺してる、も、産まなきゃ良かった○○ちゃんが子供ならどんなに幸せだったか、も、だいっきらい、嫌い嫌い嫌い、憎い、も、何度も言われた。(ちなみに、これらが普通ではないと知るのは相当後になってからである)(死ねはどこの家庭でも一度は言われてるとマジで思ってた。中3くらいまで。)

全部覚えてる。水かけられたことも、仏壇の前で首締められたことも覚えてるよ。

昔から、大量に娘にお金をかけてくれる親だった。大事にされてる。のに、怒るとそれを全部無駄だったと、私に突き付けてきた。怒ってない時に言う「可愛い」「大好き」と怒ったときの「死ね」はどちらを信じればいいか分からなかった。いまでも、怒ったあの言葉は間違いなく母の本音の1つであると思っている。

小学校の頃の私はいつだって病気になりたかった。今でこそ超がつく健康優良児だけど(受験が終わった中学あたりから急激に健康になった)幼稚園~小学校の私は病弱で、小学生高学年でもこじらせた風邪を一年に一回はひいてた。その時の母の優しさを知ってた。怒られないし受験勉強しなくていいしその間は○○ちゃんがどうとか話さないから。だからずっと病気になりたかった。

 

母の他人の子供と私を比較癖は中高が一番酷かった。ほぼ毎日してた。自分で言うのもなんだけれど、小学生の私は受験勉強のおかげで一応成績がよかった。自分のところのクソ雑魚公立小学校程度なら1番の自信があった。あ、全国だと普通に負けます普通にクソ雑魚です底辺です()だから比較されたところで「は?私の方が頭いいですけど卍」って感じだったけど、まぁ塾単位ではバンバン比較されてたんでアレですけど(塾には普通に頭おかしいレベルの秀才がゴロゴロ居る)

受験が終わって無事に学園に入り、私が明確に勉強を辞めた頃から、母はありとあらゆる私の周りの真面目で信心深い友達や知り合いを比較し始めた。気持ちはわかる。わたしも流石にあの頃勉強しなさすぎたなって反省はしてる()けれど自分がいちいち否定されていって、学園生はこうあるべき、人生こうすべきって感じで嫌だった。

 

それでも、当時はこれらの事で鬱になりはしなかったし、いつ死んでもいいやとは思ってたけども今みたいに明確に死にたいとは思ったこともなかった。中高生の時なんかは反抗心ばかり強くって小学生の頃は恐怖だけど中高生の頃はイライラ〜って感じで、高3あたりから急激に劣等感に塗れるようになっててそれまで超健全だった。それより前も色々思ってたのかもしれないけど覚えてないし。すまんな、幼少期の私、すまんな。頭悪いんや。

 

蓄積された黒いものが、大学に入って爆破して、大学生活も一人暮らしもうまくいかなかった頃に無事相乗効果となり鬱になったわけだけど。その頃から今まで言われてきたことが全ていきなり殴りかかってきたような感じだった。

どれだけ中高時代に比べられようとも、最低限の成績を守りちゃんと学校に行って卒業した。それが、大学に入ったら当たり前にできなくなった。人並みのことが出来ない大学に行けないまともに生活できない夜寝られないバイトが出来ない。全部だめだった。母が昔比べてきた子を見たら全員出来てた。昔は「私はあぁはなれない。けど私は最低限のことをしてるし私は私でやっていく」と思ってたけど、私はその最低限すら出来なくて、私の数万倍大学に馴染んでて、そこから母の昔の言葉がリフレインされて、完全に悪循環だった。

 

すべての疾患が分かってから、母は昔の事を謝ってくるが、私には許すことも何も出来ない。私は当時鬱にならなかったんだし、今鬱傾向にあるから(実は鬱病ではない。気分変調症とかいうらしい。軽くてよかったね!)気になるんだ、と思うんだけれど、悲しいことに病気とかそれ以前に母の言葉によって私の自己肯定力がかなり築かれてることに最近気付いた。これはもう、中高のあたりから思考回路としてばっちり組み込まれてた。しゃーないしゃーない!!だから許すとか以前に個人的にも許したところでもう性格がこうなってしまったんで…ちょっともう…遅いかなって…って感じてしまうし、そういう意味では本当に今更どうしろってのよ!と許せなかったりする。いまでも時々、「昔そっちが言ってきた事やろ」と詰ってしまったりする。

 

つい最近もやってしまった。

酒にめちゃくちゃ酔ってて、帰り道の電話で意味不明な問答の末、過去のことを掘り返してグダグダ言ってしまった、らしい(本当に情けないことに全く覚えていない)

次の日、母が入院した。電話の時もちらっと体調のことは言ってたらしいが(その時は入院とは母本人も思ってなかった)酔っててなんも覚えてない。最低である。当然だが父は怒ってたっぽい空気出てた。本当に当然だが。

入院したって聞いて、めちゃくちゃ反省したし禁酒が頭をよぎるレベルには反省した。と同時にもし今後母が死んだら迷わず私は死ぬなと思った。自責の念に駆られて死ぬなと。

 

こんだけ色々書いといてなんだけど、母のことは嫌いじゃないです。というか、ここまで色々してもらってお金かけてもらって謝ってもらって、嫌いだと言えるはずがなかった。思えるわけ無かった。母が私を昔から愛してくれてることには変わりないし、本当に。昔はちょっと方向性ミスりすぎてた感じだけど。近年マジで過保護すぎる優しい母だからマジで(どこから目線??)俗に言う過干渉というやつです。

 

じゃあ好きですか、と言われるとそれも頷けるような気はしなくないけど、いや頷けるんだけど母の今までを許せはしないし、やられたことは全部覚えてるからな〜というクソ根暗陰湿野郎の考えしてる。

家族というものが根本的に苦手なのかもしれない。実は家族ものは本当に苦手。特にノンフィクション。ちなみに好きですかと言われて嫌いじゃないけど素直に頷けないのは妹です。本当にすまん。お前は悪くない。本当にごめんな。方向性の違いやねん。嫉妬の塊やねん、許してくれ。いつか本当に好きになるから…

 

家族だから好きとか嫌いとか、そういう問題でもない気がするのだけれど、もうなんていうか、分からない。好きなはずなのにトラウマというか。好きとか嫌い以前に死んだら私も死にますみたいな所はある。向こうはそうではないと思う。もっと素直に「家族大好き!」って言える人間に、健全な人間になりたかった。

 

とても親しい人が「肉親のことなんてそうそう嫌いになれない」と言ってて、私はそれに否定は毛頭するつもり無かったけど、肯定も出来なくて、なんていうか、こんな人間性ですいませんという感じです。ほんっとすまん。

 

ここまで母が死んだら云々言ったが、おそらく死にはしない、と思う。(なんやねーーん)が、そんな軽い症状で入院した訳ではなく、むしろ重い方で、死にはしなくても後遺症が残る可能性は全然ある。

 

「祈ってくれ」と言われて、ゴミクズ娘だから母のことは心配だけど、宗教と向き合えなさすぎて泣いてる。学会やめたいとかじゃないの…心配もしてるの…ゴミクズすぎて泣いてる。

「あんたは自分の事じゃなくて母親のことなら祈ってくれる?」と聞かれて、ゴミクズ娘だから「その聞き方は辞めてくれ」と言った。「自分の事だから祈れるとか母親のことだから祈れるとか、そういう話ではなく、祈るという行為自体への疑問というか、倦厭感がある。そういう聞き方は辞めて」と。ごめんなほんとごめんこんな自分に嫌悪しかないんだけど、私の4年間を思ったら仕方ないと思ってほしい。仕方なく無いけど。

何か悪いことが起きると「みんなで祈るための試練」っていう考えが苦手なんだ。私が祈れなかったからって私に何か起こるならまだしもそんな、家族のうちの誰かがってリスク大きすぎて責任負いきれないですって思っちゃうんや、そんな試練の負わせ方ないやろ無慈悲かって思ってしまう。家族人質みたいなもんやんほんと責任負えませんゴミクズ娘で本当にすまん。とはいえ、母に頼まれたらやるしかないです(「聞くのがダメならなんて言えばいいんや」と言われて「普通に祈ってって言ってくれたらいいです。天秤にかけるような問いかけはやめてください」と答えたゴミクズ加減。本当に死んだ方がいいと思う。家族のためにも。)ちゃんとやるから…ほんと…

 

他人に胸張れる人間性になろうなって思った。無理くさい。とりあえず母とのことはなんとかしよう。あと仏壇の前に座ろうな。