こころのノート(物理)

こころのノートではありません。

チスチィーッス

Twitterやめました。 

いや、リアルアカウントだけです。趣味とか、裏は残ってます。

なんかね、もう疲れたなーって思った。

海外に行っても私がうちの大学基準で出遅れてるという事実は変わらないし、まぁ語学学校に行ってる間は忘れるんですが(年齢層がバラバラだからね。普通に主婦とかいる)それを実感させられるのがTwitterだった。しんどい。全ての事象から出遅れる俺、しんどい。

学校行ってないのもしんどいし、みんなが知ってて当たり前のこと自分だけしらないみたいな、グループラインがみんな何のことについて話してるのか理解出来ない。あ、みんな学校行ってるしお互い話してるから知ってるんだね、引きこもったりバイト漬けだったりしてた私だけが知らないんだってこと、何回も何回もあった。今更教えてなんて言えないし知らなくてもまぁ問題ないから聞かないけど、知らない私が悪いし。でもなんかさみしくてしんどいじゃん。人間関係の変化についていけない。本当はラインも消したい、けどそれだけは堪えてる。連絡取りたい親友たちの連絡先が消えてしまう。ライン持ってていい思いしたことなんか、この3年間ほぼ無いんじゃないですかね。数えるほどだ。でかめのトラウマが一年に一個はぶち込まれてますね、ふぁっく。

リアルが介入するSNSなんかクソくらえ

 

オーストラリアはそれなりに楽しい、ごめん嘘ついためっちゃ楽しい。水が合わないから常時腹壊してますが楽しいです。お腹が心なしか痩せた気がしますやったね!ただ、私はこの三ヶ月で何を得られるのでしょうか。英語力?絶望的ですね、死にたい。会話は相変わらずです。Yesばっか言ってるよこの馬鹿は。

 

メルボルンの街並みがきれいで、人が適度に多くて、個人に干渉しないところがすき。誰も私を知らないことがすき。メンヘラは常に自意識が肥大してるから、地元や八王子みたいな、知り合いがいるかもしれない所は安心して歩けない。日本では昼から夜の歌舞伎町が好きでした。歌舞伎町大好き。色んな人がいて、私がいても大丈夫なところが好き。昼の梅田は苦手だったな。学園の頃よく遊びに行ってたから、その時と今の格差を考えて勝手に欝になる。生きるの向いてなさすぎないか。親友によく「考えすぎ」と言われてた。そうかもしれないですね。鬱になると前頭葉だけでかくなるような感じがする。ん?前頭葉ってなに?どこ?よくわからんけど。思考だけで頭がいっぱいになって動けない感じ。にっちもさっちもいかないんですわ。んー、まぁ最近はそうでもなかったから忘れた。働いてると鬱を忘れられるからお得。金も入る。嬉しい。

 

最果タヒを読んで、分かる「この感覚知ってる」と思う人、知ってることを否定しない人と。「死んでしまう系の僕らに」というtitleだけ見て希死念慮に溢れたメンヘラの言葉だと一掃しない人と。メンヘラのエッセイ本読んだだけで「理解できた」なんて言わない人と。一緒にいたい。親友。私は何様なんだろう、こんなことを言う。

 

今日はシティに行こう。土曜日。

今週の目標は「部屋に居ない」ことです。

 

幸せこそ独創的で無ければと思うほど友達と相違する。扉は重くなる、自分でも開けられないほど。(君に届くな/大森靖子)

 

大した独創性もないし、大した相違でもないのにそこにしがみつきたい私をどうにかしたいけど、せいこちゃんが「私の音楽はあなたのもの」と言ってたからなんとなく肯定されたようで救われて生きていける。